神の名前


まともでない者の相手を好き好んでやるヤツってのは、絶対にまともじゃぁない。
ドアを蹴破って入り込み、いきなり吸血鬼に殴りかかっていった神父様を横目に、唯一の常識人たる俺はそんなことを思った。



昔馴染みに話をつけ、飛行場までの足を確保して外に出ると、そこには凶相の神父の姿があった。
嬢ちゃんに聞いてみたところ、何とここにおわすはバチカン直属の神父様らしい。
神にも教会にも縁薄い我が人生ではあるが、とりあえず、こんな血に飢えた獣のみたいな目をした神父様にはお目にかかったことはない。
やれやれと肩を竦めたところで、視界の端に何やら動くものを捉えた。
通りの向こうから「下手糞」と怒鳴る子供の甲高い声が聞こえてくる。転がってきたのは薄汚れたサッカーボールだった。あちこちで黒の五角形がはがれかけているそのボールは、太い木の幹に溶け込むようにして佇んでいた神父の脛にぶつかった。
幾分空気の足りないボールはベコリと重たげな音をたてて地面に落ちた。
ボールを追って子供が二人、何やら言い合いながら駆けてくる。その足がボールの直前でピタリと止まった。
突然、のそりと動いた影を凍りついたような四つの目が見上げている。
そら怖いよな。
だが、次の瞬間、神父の見せた表情に驚かされたのは俺のほうだった。
神父は顔中を笑みにして、両の手のひらを子供達の頭に乗せ、優しくも力強い動きでその頭を撫ぜた。
どこまでも優しげなその笑みにつられたように、子供達はぱっとその顔を明るくした。
嬉しそうに一つ頷くと、神父は身を屈めてボールを拾い、小さな子供の手にそれを手渡す。 子供と目の高さを合わせたまま、神父は柔らかな声音で話しかけた。
「そろそろお家にお帰りなさい。恐ろしい化物が出る前に」

あんただって十分に化物だよ。
ついさっき、吸血鬼の馬鹿力で思い切り殴りつけられた時の傷は、眼鏡以外にはもうどこにも見られない。

「ありがとう! 神父様!!」
飛び跳ねるようにして去っていく子供達の姿を、目を細めて見送った神父は、再びその背を木の幹にもたれさせた。

「まだ何かあんのかい? 神父サマ」
声をかければ、途端に底冷えのするような視線を向けてくる。
俺だってれっきとした人間だ。も少し愛想良くしやがれ。

「貴様らが飛行場に向かうのを見届けるまでが俺の任務だ」
「・・・・あっそ」
忌々しげに一息でそう答えた神父に俺は足を向けた。

その気はあっても手を出せないというのなら、どんなヤツか知っておくのも悪くない。
いずれやり合う相手なら尚更だ。

神父の横で煙草を咥える。
蝶番の外れたドアは開け放たれたままで、慌しく出発の準備をしている嬢ちゃんの姿が右に左にと動くのが見えた。
俺の姿を見て入口から顔を覗かせた嬢ちゃんは、傍らに立つ神父の姿を目にした途端、首を竦めて建物の中へと引っ込んだ。
よっぽど嫌なんだろうな。
俺だって嫌だが、なんてことを思っていると、隣から低い笑い声が聞こえてきた。
何だ?
瞳に浮かべた疑問を読んだかのように、神父は口を開いた。
「面白い娘だ」
真実楽しそうな口調で神父は、建物の中へと視線を送った。
「戦闘を邪魔されたのはこれで二度目だ」
その顔が不意に邪悪に歪んだ。
「やはりあの時、始末しておくべきだったか」

突然の風が、大きく張り出した枝を乱暴に揺する。

「嬢ちゃんに、手ェだしたのか? アンタ」
神父は、酷薄な、それでいて愉悦を感じさせる笑みを深くした。
「喉を裂き、背を貫いた・・・・・遊びが過ぎて止めは刺し損ねた、が」
「なるほど、ね」
あれほどに嬢ちゃんが恐れた訳が分かった。
それにしても、そんな目にあって尚、真っ向立ち向かっていくあの胆力は大したものだ。

「ってぇことは、だ」
俺は笑う。
英国紳士を真似てみようかと思ったが、どうしても目だけは笑うことができなかった。
「アンタに嬢ちゃんをやらせない為には、今此処でアンタをぶち殺しておいた方がいいってことか」
右手を内ポケットの中に突っ込む。それを見た神父が鼻を鳴らした。
「人為らざる者の為に引金を引くのか?」
「そいつァ、アンタだって同じだろう? 神父サマ」
屋内で、銃を構える間もなく反応した神父の、その目を見てすぐに分かった。
神の名に反する人間を手にかけることを微塵も厭わない。それは完璧な人殺しの目だった。

「隊長〜〜・・・・ベルナドット隊長〜〜」
声のした方を見れば、恐る恐るといった風で顔を覗かせたセラスが、敢えて神父からは目をそらして、躊躇いがちに俺を呼んだ。
「準備できましたよぉ」
「あいよォ」
呼びかけに応じながら、内ポケットに忍ばせていた右手を引き抜く。俺の手元を見た神父が薄く笑いを浮かべた。
俺もまた、小さく笑いながら手にしたジッポの蓋を指で弾いた。

咥えていた煙草に火を灯し、一息つくと、紫煙の向こうには馬鹿でかい荷物を担いだ女吸血鬼の姿がある。

面白いもんだな。
ロクでもない人殺しばかりのこの場で、化物と呼ばれる娘だけが人の命でその手を染めていなんだから。
だからこそ眩しく見えるのだろうか。

ぼんやりと煙草をふかしている俺を急かすようにセラスが手招きする。

できるなら、人殺しになんぞなって欲しくはない。
その為になら、この手をいくら汚しても構わない。そんなことすら望んでいる自分がいる。愚かにも。
いやはや、笑うほかない。
全く、まるで信仰心と同じだ。これでは。

「セラス、だ」
「何?」
眉根を顰めてこちらを見た神父に、俺は片頬を持ち上げてみせた。
「セラス・ヴィクトリア・・・・覚えとけよ」
忙しなく手を振る嬢ちゃんの方へと歩き出しながら、挨拶代わりに片手を持ち上げ、煙を吐き出す。
「俺の神サマの名前、だよ」