My fair lady


「何だか、こんなとこに来るのは随分久しぶりのような気がします」
停めた車の窓から、賑やかな街並みを彩るネオンを眩しげに見上げて、セラスはしみじみと言った。

色とりどりに飾られたショーウィンドウ。楽しげに笑いあう人々。
そんな当たり前の光景が、やけに懐かしく感じられた。どこかほっとする気持ちと共に、やるせないほどの寂寥感が湧き上がってくる。
こんなにもいる人の中で、自分だけがただ一人異質なのだ。
俯いた顔に陰りが見えたその時、ポン、とセラスの頭に大きな手が乗せられた。
我に返ったように顔を上げれば、手の持ち主がニカとセラスに笑みを向ける。
「ちょっと外、歩いてみっか?」
お使いも終わったし、とハッチバックの後部に目をやったベルナドットの視線の先には、ジャガイモやら玉ねぎの焼印のついた木箱が並んでいる。
当然の如く、中身は食べられるものなどではない。
「一服もしたいしよ」
帽子だけはいつものまま、私服であるラフなジャケットから煙草を取り出したベルナドットは、ひょいとそれを咥えると再びセラスを見て笑った。
「ま、折角だから羽伸ばしてこうや」




「随分、人が多いですね」
「週末だしな」
いわゆる繁華街であるそこには、健全な店から不健全な店までが混ぜこぜに立ち並び、その合間合間で、目当ての女の歓心を買うための花屋やらブティックやらがひしめきあっている。

美味そうに煙草を吹かしながら歩くベルナドットの横をついてきていたセラスの足がふと止まる。
二歩ほど歩いたところでそれに気づいたベルナドットが振り返れば、セラスはショーウィンドウの向こうをじっと見つめていた。
「どした?」
ベルナドットが声をかければ、セラスは慌てたように首を振る。
「や、何でもないです。ちょっと見てただけで!!」
セラスの見つめていた先を見れば、そこには若い娘が好みそうなひらひらとした服を纏ったマネキンが三体、それぞれのポーズを決めている。
「何? 嬢ちゃん、こういうの好きな訳?」
「や、えぇと、好きっていうか、前も今も仕事柄こういうのには縁がなかったなーなんて、思ってただけで、好きかどうかは、えぇと」
恥ずかしげな顔で、口ごもったセラスを見て、ベルナドットは悪戯な笑みを向ける。
「じゃあ、試してみっか? 今」
「え? えっ? あの、ベルナドットさん?」
戸惑うセラスの引っ張り込むようにして、ベルナドットはやたらと楽しげな表情で店内へと足を向けた。


「あのー・・・」
フィッティングルームの白いカーテンから顔だけ覗かせたセラスが、躊躇いがちにベルナドットに声をかけた。
「お、着たか?」
「着たは着たんですが・・・」
困ったような顔でセラスはベルナドットを見上げる。
「いいから見せてみろよ」
笑って思い切りよくカーテンを引けば、セラスは飛び上がって後ずさりする。

「変・・・・じゃないですか?」
深めの襟元にレースをあしらい、そこから緩やかなラインを描いて広がるライトグレーのワンピース。
セラスが恥らうように身を退けば、膝丈の裾から覗く黒いシフォンの裏地がひらりと揺れた。
「お、いいんじゃねェの?」
上機嫌のベルナドットにセラスは不安げな眼差しを向ける。

「どうも着慣れなくて、落ち着かないんですけど・・・」
ひらひらと揺れるスカートを心もとなそうに押さえるセラスを見てベルナドットが笑う。
「嬢ちゃんがいっつも着てるヤツの方がよっぽど露出度あると思うんだけどよ」
「アレは制服ですからいいんです!」
妙にきっぱりと言い切ったセラスに、女心は難しいねェとベルナドットは笑った。

「んじゃ、あとこれとこれ」
ベルナドットが差し出したのは、茶のロングブーツと白いダウンのハーフコートだった。
「そのカッコだと履いてたヤツは合わねェだろ?」
「え?」
「折角だから着て行けよ」
いそいそとブーツを履き、セラスはコートを羽織る。ラビットファーがふわふわと揺れるフードのついたコートは可愛らしく、甘めのスタイルのワンピースによく似合っていた。
「おー、いい、いい」
パチパチと拍手してみせたベルナドットがふと、真顔になり、その手を止めた。
「どうしました?」
「や・・・・若いネェちゃんに服着せて喜ぶなんざ俺も年取ったかなーなんて思ってよ」
真剣に悩んでいる風のベルナドットを見てセラスが声を上げて笑う。その姿はどこにでも居る愛らしい女の子だった。

「でも、いいんですか? こんなに買ってもらって」
今まで着ていた服や靴を入れてもらった紙袋を下げ、店を出たセラスが気遣わしげに尋ねる。
いいのいいの、と手を振り、ベルナドットはセラスの手から大きな紙袋を取り上げた。
「今のボスは太っ腹だし、車ん中のアレも思ったより安く上がったしな」
そう言えば、とセラスは先程付き添った取引の現場を思い出す。交わされる言葉は分からなかったが、最終的には相手が涙目になっていたことは分かった。随分悪どく値切ったのだろう。
「ベルナドットさんて、値切り上手なんですね」
「・・・・頼むから敏腕と言ってくれ」
素直な感想を口にしたセラスに、ベルナドットが苦笑を向けたその時だった。

「おや、隊長さん」
親しげな女の声に振り返れば、そこにはいかにも夜の女といった肉感的な女性の姿があった。
「暫くお見限りかと思えば、こんな可愛いお嬢ちゃんに貢いでんのかい?」
ゲッ、と呟くベルナドットをよそに、女はつかつかと近寄ってきて、まじまじとセラスを見つめる。
「この辺じゃ見ない顔だね。お嬢ちゃん、どこの店の子だい?」
「えっ? あの、どこって!!?」
どう答えたものか焦るセラスの肩をぐいと引き、ベルナドットは女からセラスを引き離す。
「あのな。この子はそういうんじゃねェの。俺の同僚だっての」
あら、と女は残念そうな顔でセラスを見る。
「かなりイイ線いってるからウチの店に引き抜いてやろうかと思ってたのに」
「店?」
あぁ、と女はくしゃりと笑う。
「店。娼館さ」
「しょうかん?」
ちょっと待て、と焦るベルナドットの声をよそに女は言葉を続ける。
「分かんないかい? ま、いわゆる売春宿、さ」
「――――!!?」
殆ど反射的に傍らの男を見上げれば、ベルナドットは参ったというように片手で目の辺りを覆い、がっくりと肩を落としている。
「隊長さん御一行は、上得意様でね」
そんな女の声がやけに遠くに聞こえる。セラスは目を見開き、ベルナドットを見つめた。いくらセラスでも売春宿が何かは分かる。そこで何をするのか、も。
セラスの目にベルナドットの大きな手が映っている。
この手が、他の女を抱いた。ただその事実が衝撃的で、悲しみや怒りといった感情が追いつかない。
呆然とするセラスの肩を両手で掴み、ベルナドットがその顔を覗き込む。
「おい! 嬢ちゃん! いいか、ちょっと! おい、聞けって!!」
切羽詰った口調には、焦りの色が隠しきれない。必死の形相でセラスに向かうベルナドットを見て、女が目を丸くする。そして、その表情はからかうような笑みへと変わった。
「ねェ、お嬢ちゃん?」
女はすらりとその手を伸ばし、セラスの頬に触れ、視線を自分へと向けさせる。
「一ついいことを教えてあげる」
そう言って女はちらりとベルナドットを見た。
「ウチの店じゃあ、この隊長さんは一番人気でね。指名されりゃどんな女も喜ぶんだよ」
女は意味深な笑みをセラスに向ける。
「何てったって、時間いっぱい部屋で一緒に酒飲んでりゃ金くれるんだからね。手ぇ一つ出しやしない。全くどんな女に操をたててんだと思ってたけど」
女はすい、と身を離すと、ベルナドットに笑顔を投げかけた。
「あんな必死な隊長さんは初めて見たよ。面白いもん見せてくれた礼に、サービスしてやるからまたお仲間を連れておいでな」
そう言って雑踏へと消える女にベルナドットは弱々しく「うるせぇよ」と毒づいた。

黙ったまま立ち尽くすベルナドットをセラスが見上げる。
「・・・・・ベルナドットさん?」
聞こえて居ない筈はないのに、ベルナドットの視線はあらぬ所を向いたままだった。
「ベルナドットさんてば」
笑い含みの呼びかけは、やがて本格的な笑い声へと変わった。
くすくすと笑いながら、見つめ続けるセラスをちらりと見て、ベルナドットは憮然とした顔で帽子に手を伸ばす。
帽子のつばを思い切り前に倒し、その表情を隠すとベルナドットはようやく口を開いた。
「あいつ等には言うんじゃねぇぞ」
そう言ってベルナドットは歩き出す。
「はい!」
明るい声で応じ、先を行く広い背中に微笑を送ると、セラスはその背を追いかけた。