目の前に広がっているのは、何処にでもある田園風景だった。
農場と牧場と、そして点在する民家には明かりが灯っている。どこにでも、いつでもある平和な光景。
吸血鬼だの食屍鬼だのと完全武装の自分達が滑稽に思えるくらいだ。
隻眼の上に暗視ゴーグルを引き下ろしながらベルナドットは歩を進める。
先頭にベルナドット隊。その後ろに三角形を描くように二部隊。そして、その中心にセラスがいる。
周囲に気を配りつつ通りを進むベルナドットの足がピタリと止まった。
バタン。
まるで当たり前の音をたてて民家の扉が開く。だが、その音は一箇所に留まらなかった。
バタバタと続けざまに響く扉の音。そして、そこから姿を現したのは既に人ではなくなった者達だった。
あちこちが汚れ千切れた服。抵抗した者もあったのだろう、腹部に穴を開け、血を流しながら向かって来る者がいる。吹き飛ばされた片腕を持ちながら歩いて来る者、片脚を失って這いずり来る者。
皆に共通しているのは、知性の欠片も無い虚ろな瞳。ただ人を喰らうという目的の為に蠢くモノ。
これが人間様の成れの果てか。
昔どっかでやったビデオ・ゲームまんまじゃねぇかよ。これじゃあ。
短い舌打ちの後、ベルナドットは照準を食屍鬼の頭に合わせる。
手に馴染んだ反動と乾いた発射音とほぼ同時に先頭を行く食屍鬼の頭がまるでトマトのように弾け飛び、その後ろを歩く食屍鬼に血飛沫が降りかかる。そんなことは全く意に介さず、目の前で崩れ落ちた屍体を踏みつけ、死者の行軍は進む。
それでも食屍鬼を狩るのは難しいことではなかった。
徐々に囲まれてはいるが、動きは直線的、単調だった。
僅かずつ移動しながら機械的に食屍鬼を撃ち倒していく。その作業に没頭しつあるその時、背後からセラスの鋭い声が飛んだ。
「止まって! ベルナドットさんっ!!」
その声に反射的に足を止めたベルナドットの目と鼻の先を銃弾が通過した。
「こ、のっ!!」
一際派手な射出音でセラスの構えたショットガンが火を吹く。
ベルナドットの目で捉えられるか捉えられないかの距離で食屍鬼が崩れ落ちた。
ヒュウと感嘆の口笛をベルナドットは奏でた。
「助かったぜ、嬢ちゃ」
振り返ったベルナドットは息を飲んだ。
見開かれた大きな瞳は鮮血の色。その瞳が確かに、笑った。
「来ます!」
言い終わるやいなや、向かってくる食屍鬼の勢いが増した。
そして、音もなく夜を滑空して来る者。
セラスの銃身が漆黒の塊に向けられる。一撃。墜落といった風に吸血鬼は地に落ちた。それと同時にセラスの肩が弾け、その口から小さな悲鳴が上がる。
「嬢ちゃん!?」
「大丈夫ですっ!」
援護しようと構えかけたベルナドットを制し、セラスはショットガンを構えなおす。
目の前のドラクルが立ち上がるその前に照準は定められた。細い指が引き金を引く。哀れな吸血鬼の肩が、腕が、頭が一瞬のうちに消滅した。
つぎの瞬間、力を失いバタバタと倒れていく食屍鬼の群れ。
大きく息を吐き、セラスがショットガンの銃床を地面についた。
「終わった・・・か」
あちこちで息を吐く音が聞こえる。
ゴーグルを持ち上げながらベルナデットが振り返り、笑い混じりに周囲に問う。
「おい、お前らまだ人間か?」
「人でなしではあるけどな」
そう返す仲間の声に、違いねぇとあちこちで笑いが起こる。
その声につられてセラスもまた笑みを浮かべかけたその時、背筋に戦慄が走った。
感覚がレッドシグナルを告げている。まだだ。まだ、終わっていない。
「大丈夫か?お嬢ちゃん」
「まだです。まだっ!!?」
セラスの方を向いたベルナドットの背後から白い腕が音もなく伸びる。
「ベルナドットさんっっ!!!」
「何ィっ!!?」
驚愕の表情を浮かべたまま、ベルナドットが引き倒される。同時に隊員達の足元に転がっていた食屍鬼の中から何体もが再び動き出した。
ベルナドットを組み敷いていたのはドラキュリーナだった。
「ベルナドットさんっ!!」
セラスの叫びをマシンガンの発射音が掻き消す。
「積極的な女は嫌いじゃねぇけど、なっ!!」
軽口を叩きながらも更に弾丸を撃ち込む。その勢いに、ドラキュリーナはベルナドットの上で仰け反った。
身を起こしながらベルナドットはドラキュリーナを蹴りつけ、距離を保つ。
「俺はまだ持つ。アイツ等を援護しろっ!」
セラスに向けたベルナドットの視線は真剣そのものだった。
一つ頷き、セラスは、今まさに食屍鬼に取り付かれようとしている隊員の救出に向かった。
一方に銃弾を打ち込みながら、もう一方を蹴りつける。血飛沫が跳ねる。吸血鬼の目はその飛沫が描く鮮やかで美しい輪郭を捉えることが出来た。
目の前で、幾つも幾つも血の紋様が描かれては消える。それを見るにつけ、抗いがたい昂揚感が身の内深くから湧き上がってくるのをセラスは感じていた。
食屍鬼を吹き飛ばし、或いは細切れにして、幾つもの肉塊を作り出しながら、セラスの唇は自然と笑みの形を作っていた。
まるで歌いだしたくなるほどの愉悦と陶酔感。
「ぐっ!!!」
押しつぶされたような声が背後から聞こえてきた途端、セラスは酔いから醒めた。
慌てて振り返った目に映ったのは、地面に叩きつけられ、大きくバウンドしたベルナドットの姿だった。
「ベルナドットさんっっ!!?」
砂埃の中、何とか身を起こそうとしたベルナドットの上に、ドラキュリーナが一足飛びに覆い被さる。
ドラキュリーナは僅かに顔を傾けると、その顔をベルナドットの首筋に寄せた。長い髪が地面に流れる。その合間に見えたのはベルナドットの口から流れ出た血の赤。
その瞬間、セラスの血が一気に引いた。それは一拍をおいて、まるで津波のように全身を駆け巡った。真赤な瞳に漲るのは怒りと殺気。
「こ・・・・・の」
よくもよくもよくも――
最後に残った食屍鬼の頭に銃床を突き刺し、セラスは駆けた。
楽に殺してなどやらない。
私のものを奪おうとする奴は許さない。決して。決して。
それは、心の奥底にいつもあったモノ。気づかぬ振りをしながら飼い続けていたモノ。その名は狂気。
ベルナドットの上に圧し掛かっているドラキュリーナが反応するよりも早くセラスの腕が一直線に伸びた。
刃と化した指先がドラキュリーナの喉を突き破る。
泡立つような音をたてて血を溢れさせるドラキュリーナを貫き通したまま、セラスは眷属である筈の者の身体を地面に叩きつける。
バシャリと血溜まりの中に足を踏み入れ、倒れたままのドラキュリーナの腹を血にまみれた靴底で踏みつければ、ゴボゴボと聞き苦しい音と共に血が逆流する。足元で足掻くその様を見下ろし、セラスは無造作に右手を突き下ろした。
心の臓を突き刺された女は断末魔の悲鳴を上げ、やがて壊れた人形のようにその動きを止めた。
セラスが見つめる先で、その輪郭は徐々に崩れ、風にさらわれるように消えていく。それと時を同じくして食屍鬼もまたその痕跡を消しつつあった。
やがて、セラスは弾かれたように顔を上げた。その瞳からは狂気の色はすっかりと抜け落ちている。
倒れ伏したままのベルナドットのもとへとセラスは血まみれの姿のまま、あたふたと駆け寄る。
「べ、べ、ベルナドット・・・・さん」
その足元にへなへなと座り込む。
「御免なさい御免なさい、私っ」
涙声で伸ばした手を、突然にぐいと引かれ、セラスは盛大な悲鳴を上げた。
「あのね、勝手に殺さないでくれる? お嬢ちゃん?」
首筋をカバーしていたマシンガンを放り投げ、ベルナドットは苦笑と共に身を起こした。
「よ、よ、よ、よか・・・・よかったぁぁぁ」
脱力したようにペタリと尻餅をつき、セラスは大きく息を吐き出す。
その姿はもう普通の人間のようにしか見えない。歴然たる差異を、今この目で見たというのに。
しゃがみ込んだままセラスは振り返り、背後の隊員に目をやる。
「皆さんも、大丈夫ですか?」
ざり、と砂を踏む音。その瞬間、セラスが見たものは、怯えた表情と共に僅かに後じさった幾人の隊員の姿だった。
「あ・・・ああ」
ぎこちなく笑み、頷いてみせる隊員から視線を移し、セラスは自身の姿を見つめる。
食屍鬼の吸血鬼の血に塗れた身体。
理性無く血を求めた化物の身体。
戦いの中で。そして―――
ベルナドットは座り込んだまま、じっと動かない女の姿を静かな瞳で見つめた。
恐れ。動物の持つ根源的な情動。
目の前のこの小娘は、その気になれば、今庫の瞬間にも容易く自分達を滅ぼし尽くすことができるのだ。
こんな表情はよく見た。
かつて武器・弾薬の尽きたゲリラに対峙した時に。丸腰で包囲されたテロリストに対峙した時に。
一方的な殺戮者を前に、人はただ恐れるしか術を持たない。それ以上のことができる人間はそうはいない。
セラスは一度、血塗られた己の手にから視線を外すと、ベルナドットを見あげた。
「ベルナドットさんは、大丈夫ですか?」
セラスは笑う。
ベルナドットの胸は突かれたように軋んだ。理不尽な、怒りにも似た感情が湧き上がる。
笑うんじゃねぇよ。そんな泣きそうな面で。
「大丈夫だよ。嬢ちゃんのおかげで、な」
そう言ってベルナドットはセラスに向けて両手を差し伸べる。
ふわり、とセラスの身体が持ち上げられた。
「ほら、しゃんと立ちな。今日の殊勲賞は嬢ちゃんなんだからよ」
「ベルナドットさん・・・・怪我は?」
口の端から流れた血をベルナドットは手の甲で拭い、ニヤリと笑う。
「あぁ、切っただけだ。こんなん怪我の内にはいんねぇさ」
そう言ってベルナドットは、口の中に溜まった血を地面に吐き出した。
地に咲いた鮮やかな赤の花。
その香はどこまでも甘くセラスを惹き寄せる。
ダメだ。そう思っても歯が疼く。喉が乾く。抗いがたい昂揚感が、今にも蘇ろうとしている。
自分はもうこんなにも血を求めている。
戦いの中でも、そして、今、この時にも。
そう自覚した途端、胃が引き攣ったように縮んだ気がした。
「っ!! ぐっ!!?」
反射的に手のひらで口を塞ぎ、吐き気を堪える。
「嬢ちゃん?」
驚いたように目を剥いたベルナドットに、セラスは無理矢理笑顔を作って見せた。
「大丈夫です。何でも・・・・っ!!」
細い肩が震え、目には涙が滲んでいる。
「大丈夫ってことねぇだろうよ、おい」
抱きかかえようと伸ばしたベルナドットの手をセラスは払う。
いけないと思いつつも、視線はベルナドットの口元に注がれている。甘い甘い血の香りを漂わせる唇に。
「ダメです・・・・・」
震える瞳でセラスはベルナドットを見上げる。
「ダメ・・・・・お願い・・・・近づかない、で」
「おいっ、嬢ちゃんっ!!?」
戸惑ったようなベルナドットの声を耳にしながら、セラスは皆に背を向け走り出した。
「おい、お前ら先に局長に報告して本部に戻ってろ!」
「隊長は?」
「女の子一人放っておける訳ねぇだろ。後は何とかするから行け!」
「あ、ああ」
それから、とベルナドットは部下達の背を睨みつけ、怒りを感じさせる低い声を投げつけた。
「戻ったら、お前ら一発ずつぶん殴ってやるから覚悟しとけよ」
「隊長・・・・・・」
振り返った隊員の目には、セラスの後を追い、駆け出したベルナドットの姿が映っていた。
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