何だって俺が。ベルナドットは思う。
自分より遥かに強くて頑丈で死なない女の心配をしなくちゃならねぇのよ。
内心、そう愚痴ってはみても、足を止める気にはなれなかった。
危なっかしいんだよな、あの嬢ちゃんは。
気弱そうに見えて、存外、気が強い。馬鹿強いくせに、心に傷抱えて。化物なのに心は人のままで。そのくせ明るい瞳に影宿らせて。
その不安定さから目を離せない。
保護欲をかきたてられるというのとはまた違う。何だろうね、この感情は。
どうにも厄介なことになりそうな予感がして、ベルナドットは抱えた気持ちに名をつけることを途中で放棄した。
「・・・・ぐっ・・・ふ」
苦しげに咳き込む音を聞きとめ、ベルナドットはその足を止める。
音のした方に目をやれば、煉瓦作りの壁に片手をついて身を屈めるセラスの姿があった。
ざり、と砂を鳴らして足を進めれば、一層激しく咳き込む音と共に、吐瀉物が地面に広がった。
「どうして・・・・・?」
近づいてくるベルナドットに背を向けたまま、荒い息の中でセラスは呟くように問うた。
「来ないでって、言ったのに」
その背後に立ち、ベルナドットはセラスの足元にちらりと目をやった。
胃液だけの吐瀉物。
吸血鬼は人の食べ物を必要とはしない。だが、それは人の血を啜ってこそのことだ。目の前の女吸血鬼は、血を飲むことを頑なに拒んでいると聞いていた。
「血の、匂いがする・・・・ベルナドットさん」
ゆらり、とセラスは身を起こし、振り返る。その瞳は夜目にも鮮やかな血の色をしていた。
「その意味が、分かってます?」
細い両手がベルナドットの首の後ろに伸ばされる。
強い力で身を引かれ、ベルナドットは思わず身を屈めた。
間近にセラスの顔がある。こんなに近くで眺めたのは初めてだった。
赤く潤む瞳が、笑みの形に細められる。物欲しげに開かれた唇の合間に、伸びた牙がちらりと覗いた。
実年齢よりも遥かに幼く見える女が、今はまるで熟練した娼婦のようにも見える。その落差が妙に艶かしく感じられた。
もっと見てたい気もするけどな。
ベルナドットは近づいてくるセラスの頤に指をかけ、唇を開けさせる。もう一方の手には、細身のアルミ水筒を取り出していた。ベルナドットは何も言わず、セラスの唇に水筒に入った水を流し込んだ。
「―――!? かっ、けほっ!!」
ベルナドットの首に回していた手を離し、セラスは咳き込みながら口元を抑えた。
唇の端から溢れた水が顎を伝い落ち、地へと吸い込まれていく。
「えっ!? なっ!?」
戸惑ったような声はいつものセラスのもの。ベルナドットは小さく安堵の息を吐き、セラスの目の前にに水筒をぶら下げた。
「気持ち悪ぃだろ? もっとよく漱いどきな」
「ベルナドットさん・・・・」
見上げてくる瞳からは、鮮血の色は抜け落ちていた。
「ありがとうございます」
幾度も口を漱ぎ、セラスは俯いたまま水筒をベルナドットに返した。先程から一度も目を合わそうとしない。
「どした? 嬢ちゃん?」
ベルナドットの声に、セラスは更に深く俯く。
「・・・・・ごめんな、さい」
「あ?」
煙草を咥えジッポを持ち、まさに火をつけようとしたベルナドットがその手を止めた。
「私・・・・・ベルナドットさんを・・・・・・」
「何だ? 俺に惚れたってか?」
「違いますっ!!!」
茶化して誤魔化してしまおうとしたベルナドットを、セラスはむきになって睨んだ。けれど、その瞳はすぐに力を失くした。
「ダメなんです。どうしても」
セラスは頭を振る。
「戦ってると、血をみると、ぼうっとして、けど頭の中が熱くなって。ひりひりして。何でもいいから壊してしまいたくなる」
握り締めた両の拳が僅かに震えた。
「今だってそう・・・・・・だから、お願いですから一人にしておいて―――」
「分かった」
セラスの言葉を途中で遮り、ベルナドットは足を進めた。セラスに向かって。
「えっ? えぇっ!!?」
まるで荷物でも扱うかのようにベルナドットはセラスを肩に担いだ。
「ちょっ!? ベルナドットさ」
「ソイツの鎮め方を、俺が教えてやる」
逃げようともがく両脚を抑え、ベルナドットは手近な民家に入る。どうせ文句を言う者はもうこの世にはいない。
ちらりと中を見回して階段を見つけると、ベルナドットは躊躇いもなくその段を上がっていった。
閉じた扉を蹴開けると、果たしてそこはベッドルームだった。
ぽい、とベッドの上にセラスを放ると、ベルナドットは装備品を乱暴に外し、床に落とす。無言のまま脱いだジャケットをその上に放った。
驚いたままの表情のセラスと、表情のないベルナドットの視線が合った。
一瞬の静寂を、ベッドの軋む音が破る。ベルナドットは片膝をベッドにつく。セラスがその顔を強張らせて尻込みする。半袖のシャツから伸びる腕がセラスに近づく。
進退窮まり、身を縮込ませたセラスの肩を、ベルナドットは押し倒した。
小柄なその身体を覆い尽くすようにベルナドットは圧し掛かる。
ベルナドットの編んだ髪が、小さな音をたててセラスの胸元に落ちた。
釦を引き千切らんばかりの勢いで胸元を開けた。
弾かれたように跳ねた女の身体をベルナドットは渾身の力でもって押さえつけた。
「黙って、大人しくしとけって、お嬢ちゃん」
「い・・・や」
かつて見た光景が切れ切れに頭の中に浮かんでは消える。
血まみれの父親。虚ろな母の瞳。死んだ母の身体を。獣のように貪る。男の。瞳から血が。私が刺した。床に光るナイフ。
思い切り首を反らすと、窓の外に青い月が見えた。
「いやぁっっっ!!」
押し付ける男の力を、セラスはゆっくりと押し戻していく。ベッドに片肘をつき、ベルナドットごとセラスは僅かに上体を起こした。
「止めて・・・下さい」
乱れた着衣をセラスは引き上げる。何かを堪えるように吐き出した息は荒い。
「死に、たいんですか?」
箍が外れたら、今度こそこの人を殺してしまうかもしれない。その喉を噛み切って、血を啜ってしまうかもしれない。それがとても怖い。怖くて、けれどもそれはとても魅惑的でもあった。
赤く濡れたセラスの瞳を、ベルナドットはじっと見つめる。
闇に住む女からの死の宣告。にも関わらず、ベルナドットはセラスのジャケットの前を大きく開き、下着を押し上げた。
「ベルナドットさんっ!!」
豊満な胸が月の光を弾いて震える。隠すように覆った腕を、ベルナドットは掴んで開く。
「そりゃ、死にたかァねぇよ」
金と命を天秤にかけながら、いつ死んでもおかしくない生き方をして、それでもどういう訳かまだ生き延びている。いつだって俺は死にたくなんかない。
死にたくないと思いながらもドンパチやってる真っ只中に手前から飛び込んでって、殺して殺されかけてまた殺しに行く。昔じいさんが言ったとおり、立派に理も糞もねぇ人間になったもんだ。
今もそうだ。死ぬかもしれないと思いながらも、止めることができない。
けど、そんなんでいいんじゃねぇか?
仕方ねぇだろうが。放っておけねぇんだから。仕方ねぇじゃねぇか。
欲しいと思っちまったんだから。
「死にたかねぇ」
けどな、とベルナドットは静かに笑った。
「嬢ちゃんの処女膜ぶち破ろうってんだ。それ位のリスクがなきゃ、フェアじゃねぇだろ?」
軽い調子で野卑な台詞を口にしたその顔は、驚くほどに優しかった。
驚いたように見返すセラスの、その隙をついてベルナドットは再び彼女を組み敷く。
柔らかな、だがひやりと冷たい乳房の先端を口に含めば、男を知らぬ身体がベッドの上で大きく爆ぜた。
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